さよならポニーテール

Twitterに移籍した元CEOさっちんも更新し続け、それが逆に行く末を曖昧なものにしているPosterousですが、2人目の子供も生まれたこともあってこのブログを引越しします。
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ブログ名は変えてませんが、さよならです。さよならポニーテールです。
さよならポニーテールと言ったら、くま井ゆう子な世代。76世代。

Youtubeになかったので、代わりに「ずっとまっててね」をどうぞ…

ありがとう、Posterous

P54

常用しているWebサービスが終了してしまうのは人生で2回目で、2007年にAlt-Rが終了して以来になる。

世間的にはPosterousはTumblrのライバルと目されていたのかもしれないが、向いている方向はまったく異なっていたと思う。

Tumblrよりもっと“どんくさい”サービスだったというのが私の印象で、どんどん先鋭化するWebの世界でそのどんくささをとても好ましく思ってきた。日本語で使うには少しハードルが高かったかもしれないが、CEOのさっちんが自分の家族を引き合いに出して語る“普通の人” が使っているという感じは十分にあった気がする。この感じはWebがますます身近になる中で、むしろ不思議と貴重なものになっている。

まだPosterousも先のことは不透明だけれど、次に選ぶサービスもできるだけ“普通の”感じがいい。思えばAlt-Rもそうだったし、ちょっとどんくさいのが性にあっているということだろう。

あたし通読派

こんなことでもちゃんと書かれているとハッとするというか、意外なほど明言されていることが少ないように思う。

まず、本というものは、はじめからおわりまでよむものである。

これは、『知的生産の技術』という本に書いてありました。
世の中には得意げに「本は好きなところだけ読めばいいし、全部を読まなくてもいい」と主張する人たちがいて、私にはそうした人たちが全裸で相撲に取り組んでいるように見える。「まわしを付けなければ相手につかむところも与えないし、自然なスタイルなのだ」と説明されても困惑してしまうし、「どうせ一度きりの人生なのだから、わざわざ窮屈な思いをしないで自由にやろうよ」と全裸で呼びかけられても、こちらとしては曖昧な笑みを浮かべて、この人どっかいってくれないかな…と思うばかりである。

そうした人たちにとっては読書なんてものは人生でたいした意味を持っていないのだろう。あるいは読書が、自分の《人生を豊かにする》ひとつの手段なのかもしれない。

それに関して私としては、最近読んだ『ウェイクフィールドの牧師——むだばなし』という小説で、愛する人からのひどい裏切りにあって失意の中にある娘に向かって父親である牧師がとる態度に賛意を示したい。

世間の非難や悪口にたいしても武装をさせておこうと思った私は、みじめな境遇の者にとっては書物というものがどれほど優しく、とがめだてをしない伴侶になってくれるものか、たとえ楽しい人生にまではしてくれなくても、耐えられるようにはしてくれるといったことも話したのである。

『知的生産の技術』という本そのものは、整理術や発想法の源流として読まれているという予備知識を持って読み始めたが、のっけから裏切られた。とても不自然な言葉遣いで、これは何だろうと読み進めていくと、やがてそれがファナティックな情熱に裏打ちされた実践によって身についてしまった“呪い”のようなものであったことがわかるという、整理術や発想法というキーワードを毛嫌いしている人も読んでみて損はない面白い本だと思いました。

家の中に増え続ける本たちについて考えていたら、スッキリした。

読書が趣味で、考えてみれば生まれてから本屋に行かない日のほうが少ないくらいだから、必然的に家の本棚はもちろん、机、床、ちょっとした隙間からも背表紙だったり、小口だったり、天だったりがこちらを見つめているといった塩梅だ。図書館を利用するように努め(娘が生まれてからはことさら)、引越しの時には少し売ったりして、できるだけ買わないようにしているつもりだけれど、それでもなぜか増え続けるのが悩みの種だった。

世の中には、そうした本が占有する面積・体積を計測して家賃に占める割合に換算し、「ほら、こんなに本を保管するのにお金を使っているんですよ」と指摘する人もいる。なるほどとうなずきえ、えいやっと処分して「すっきりしました」という報告もよく耳にする。断捨離というわけだ。ダンシャリズム!

私も長いことこれらの本がなければ部屋が広々と使えるのにと気を揉んでいた。
しかし、よくよく考えてみれば、これらの本は私よりずっと多くの人に影響を与える可能性がある。それに比べれば私の存在価値などたかが知れている…。処分されるべきは、私の方ではないだろうか…。部屋が狭いなどというのはちっぽけな悩みだ。むしろ、わずかばかりの家賃を払うことでそんな素晴らしい本たちに囲まれているのだから、ありがたいと思うべきなのだ。
スッキリした。